琥珀
琥珀は美しい馬だ。
栗毛の体は陽の光に照らされると黄金色に輝き、白いたてがみと尾は風に乗り波打つように流れる。
琥珀に跨がる娘もまた、黒く美しい髪をなびかせながら、時折声を上げ楽しそうに笑っていた。
特にこの馬がよくて買った訳ではない。まとめて軍馬を仕入れる際、たまたま目に入ったのがこの馬だった。
牝馬だからそこまで高い訳でもなく、それでいながら馬体もなかなかに良かった。
購入時は子馬だったが、初めて馬に乗るに世話をさせるにはなにかと都合もいい。なにより忘れかけていた約束を思い出し、慌てて個人的に買い取ったのだ。あの時は実にいい買い物をしたと自画自賛をしたのを覚えている。
遠くで駆けるの姿を見て、録嗚未はふとあの日のことを思い出していた。
「馬に乗りたい」
そう言ったに勿論最初は反対した。そもそもが乗りたいと言い出したきっかけは自分にある。この年の初雪は大雪となり、普段徒歩で殿の御殿へと向かうの足では恐らくたどり着けなかった。かと言って置いていけばこのうるさい奴ら、特に鱗坊になぜ置いてきたと罵られるのは明白だ。
しかし妙案だと思ったのだが逆に裏目に出てしまった。確かに馬に乗せてからいつもよりそわそわとしており、様子が違うとは感じていた。が、まさか乗りたいなどと言い出すとは……。
「馬に乗せるだけだろ? 何が駄目なんだ」
冷えた体を温めるよう燗酒を煽り、他人事のように軽く言う鱗坊を横目で睨みつけながら、録嗚未は手にした盃に並々と酒を注ぎ、ひと嗅ぎするだけで眩暈を覚えるような強い香りと一緒に勢いよく飲み干した。
「あのでかい馬にチビのガキが一人で乗れるようになると思ってるのか?」
「いや待て、一人で乗れるようにするのか? はただ馬に乗りたいだけなんだろう?」
「それがそういう訳でもなさそうだ」
突然話に割って入ってきた人物に二人は揃って顔を向けた。一人静かに酒を嗜んでいた隆国は数刻前のとの会話を思い出す。
「殿に言われたそうだ。自分の進む道は自分で切り開け、と。は何かと我慢をするからな。珍しく自分からやりたいと言ったのなら応援したくもなるだろう」
「我慢じゃなくて萎縮だ。録嗚未がいつも怒鳴っているからは萎縮するんだ」
鱗坊からの茶々が入るが、今までに対してあたりが強かった自覚はある。だがそれは言葉の違いにより意思疎通が難しかったためで、最近では軟化してきたつもりだった。実際に今朝はあんな風に冗談を言っている。
「そもそもお前は負けたのだ。敗者はおとなしく勝者の言うことを聞くのが道理だろ」
負けていないと反論したかったが、そのやり取りは既に嫌というほどやりあった。隆国の言葉に言い返すことが出来ず、せめてもの反論だと隣で笑う鱗坊の肩を強く叩く。
「心配なのはわかるがな」
燗酒をちびりと口にして録嗚未を見る。
「来年成人することだし、そろそろ新しいことをさせてみてはどうだ」
珍しく隆国が側に回ったのが決定打となり、こうして今に至る。
それから三年。長い月日はゆっくりと二人の距離を縮めたが、あと一歩のところでお互いに足踏みを続けていた。
時折遠乗りに出ては言うか言わまいかを問答し、結局言わないという日が続く。
楽しそうに馬に跨るを見て、やはり馬を与えて正解だったと思う。それと同時にそのままどこかに行ってしまいそうで、遠くからその様子を眺めていた録嗚未は珍しく、酷く不安に胸を掻き立てられた。
琥珀は美しい馬だ。
主であるは、まだ走り足りないと首を上下に振る琥珀を撫でながら振り返り、遠くからこちらを見る録嗚未の姿を確認した。
「まだ大丈夫そうだからもう少し走ろう」
軽く腹を蹴ると、待っていましたと言わんばかりの勢いで、琥珀は高く脚を上げ地面を蹴った。
土を跳ね上げ駆けるのに合わせ、馬上のは琥珀の負担にならないように腰を浮かし軽く上下に揺れる。
録嗚未が珍しく約束を守って与えてくれたあの日の馬は、主に忠実で少しわがままに育った。自分でも手を掛け甘やかし過ぎたと思う。けれども琥珀は自分にとって姉妹のような特別な存在なのだ。
「お前が来た時はびっくりしたのよ。馬に乗りたいとは言ったけどまさか馬を買ってくださるとは」
どこか不満げに承諾したあの日の録嗚未を思い出しクスクスと笑う。今思えば乱暴ではあったが彼なりに自分のことを思っていたのだろう。
録嗚未のことを考えている内、急に不安になり馬脚を緩め再び振り返る。微かにだが録嗚未の姿が見えた。珍しく考えごとでもしているのか、動かず追いかけても来ず、ただじっとこちらを見ているようだ。
あと少しだけ行こうか。もう一度前を向くと、風に乗って自分を呼ぶ声が微かに聞こえた。
「!」
気のせいかと思いつつ耳を澄ましてみると、今度ははっきりと自分を呼ぶ聞こえる。名前を呼ばれてしまってはこの先には進めない。どこか焦りを含んだ声色になぜだか少し嬉しくなる。それとは対象的に、もう止めるのかと不満そうな琥珀。
なだめるように首を撫で踵を返して来た道を戻ると、いつもよりも深く眉間に皺を寄せながらも、どこか安堵した表情を見せる録嗚未が待っていた。
「もう満足したか」
「私は。琥珀はまだ走りたいようですが」
視線を琥珀に移すと、恨めしそうに録嗚未を見ている。すまんと腕を伸ばすが鼻先で叩かれ、録嗚未は小さく舌打ちをこぼした。
「決めたのか」
録嗚未はいつも言葉足らずなのだが、それが何を意味するのかにはよくわかっていた。小さく頷くと「そうか」と一言だけ返ってくる。
この美しい馬は軍馬となる。先の戦で騎馬隊の馬が不足し、それまでが乗っていた馬を騎馬隊に回すことになった。そしてこの先、琥珀はのため傷だらけになりながら戦場を駆ける。
提案したのはだった。
「知っていますか? 琥珀の由来」
宝石になど興味のない録嗚未は考える素振りも見せず、知らんと言い放つ。
「琥珀石には虎の魂が封じられていると言われているのですよ。琥珀は虎のように勇猛で美しく、力強くしなやかに駆ける。だから……大丈夫です」
よく手入れされたたてがみを指で掬い優しく撫でる。
「それに、琥珀が傷付く時は私も一緒です」
へらっと笑って見せると「馬鹿者」と小さく聞こえた。
「俺ただひたすらに突き進む。後ろのお前のことを気にすることなどできん。だからな――」
琥珀の鼻筋を力強く撫でる
「お前がを守れよ、琥珀」
理解しているのか、録嗚未の言葉に琥珀は大きく頷いてみせた。
荒れ狂う戦場に一筋の風が吹き抜ける。
白いたてがみをなびかせ、陽の光を浴び黄金色に輝きながら、主を背に乗せ誰にも追いつけない速さで。
戦場を駆ける琥珀は美しい馬だ。
しゅくやむび『琥珀』