GOBI

名前 The Name

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10月9日未明、小樽市◯◯の港に女性が浮いているのを、付近を通行中の男性が発見し通報。警察が駆けつけ、その場で死亡が確認されました。
女性の身元はわかっておらず、警察は身元の確認を進めています。
遺体の首に絞められた痕跡があり、道警は事件の経緯を調べています。

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 深夜の小樽。いつもは観光客で溢れかえっている有名な運河は、普段の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。
 そんな観光地を右手に一台の車が先へと進んで行く。
 男は時折、後部座席に座る女性にポツポツと話しかけるが、眠ってしまったのだろうか。女性からの返事はない。地元のFMラジオが、上半期に流行った女性アーティストの曲をリズミカルに流し、静かな車内を盛り上げようとしていた。
 国道を外れ、車は細い道へと入っていく。日中には釣り人が糸を垂らしているのをよく見かけるが、日付が変わるような時間に釣りをしている物好きはこの時間見当たらない。
 このまま先に進むと、封鎖された古いトンネルがある。その手前のカーブで停車した男は、辺りを確認しながら外に出ると、後部座席でぐっすり眠る女性を抱きかかえて車から降ろし、ためらう事なく真っ暗な海へと投げ入れた。


「岡田、これ戻しといてくれ」
 捜査が終了したため、資料が入った重たい箱を岡田は面倒くさそうに玉井班長から受け取った。
「野間ぁー、これ……いねえのかよ」
 最近異動してきた野間に押し付けようとするも、先程まで隣でまったりとコーヒーを飲んでいたその姿は、空になったカップを残してこつ然と消えていた。だったら谷垣にでもと辺りを探してみると、ちょうど総務課の女性署員数名に捕まり、でかい体を小さくしているのが見えた。
 谷垣は仕方がないにしても、野間の奴はどこへ行ったのか。もう一度ぐるりと見渡してみても、あの坊主頭は見当たらない。
 玉井班長の咳払いを聞き、下に押し付けるのを諦めて重たい資料箱を抱え直す。一言二言、玉井とその隣で憎たらしく笑う尾形へ行き先を告げ、岡田は地下へと向かった。

 地下には過去の莫大な捜査資料が収められた資料室がある。管理している資料課職員に軽く挨拶をしてから重たい扉を開け、真っ暗な中を手探りでスイッチを探して上から順に押すと、奥からゆっくりと明かりが灯り、びっしりと並んだ資料が目の前に現れた。
 通路には等間隔に机と椅子が置かれ、専用のパソコンではデータ化された資料を閲覧することもできる。
「えーと……2020年……2020年の」
 こういった雑用は本来、一番下の人間が進んでやるものだろう。戻ったらコーヒーでも奢ってもらおうか。こんなに根に持つタイプの男ではなかったはずなのだが、歳のせいなのか最近は愚痴が止まらなくなってきた。
 肝心な時に役に立たない後輩への不満をブツブツと言っていると、あっという間に目的の棚に辿り着いた。
 捜査資料箱を元あった場所へ乱雑に戻し、こんなカビ臭い所には一秒たりともいたくないと踵を返す。
 通路に出て一旦はドアに向かって歩き出した岡田だったが、何かに呼ばれたような気がして、ピタリと足を止めて振り返った。
「……
 先程箱を戻した場所からさらに奥。2015年の資料が納められた棚に進む。
 正直、この場所に来る事を適当な理由を付けてずっと避けていた。
 岡田はとある捜査資料箱の前で立ち止まり、ゆっくりと手を伸ばした。

「岡田さん」
 名前を呼ばれ、はと顔を上げると、先程探していた男が訝しげにこちらを見ていた。
 資料室はコンクリートで作られている上、防火対策のため暖房も無い。陽の入る地上とは違い、窓のない監獄のような資料室は長時間いるには不向きな場所だ。
 再び岡田の時間が動き出した事で寒さという感覚も戻り、思わず鼻をすする。
「野間、どこ行ってたんだよ。お陰で俺が」
「サーセン、糞してました」
 どう考えても嘘だろうが、野間のこういう所は嫌いになれないし、それを許し甘やかしてしまう自分が憎い。
 いつもの調子なら、この後に二、三、小言を言うのだが、寒さのせいなのか、それともこの場所のせいなのだろうか。言葉が詰まってうまく返せないでいると、特に気にする様子もなく野間が話を続ける。
「岡田さん、玉井班長が呼んでます。それから――」
 野間はどこか苦しそうな岡田の顔を見て違和感に眉をひそめ、次に手元に視線を落とし、少し驚きながら指をさして続けた。
「それも持って上がって来いと」
 岡田が抱えていたある事件の資料が収められた箱。箱の側面に書かれた事件名は――

『小樽港女性連続絞殺遺棄事件』



 地上に上がると、久々に浴びる日差しが容赦なく岡田を襲う。何時間も居たわけではないのだが、今の少しばかり傷心気味な岡田にはひどく染みる。
 北海道警察刑事部捜査第一課。数年前その中に新設された、未解決凶悪犯罪を専門に取り扱う未解決事件捜査係に岡田達は所属している。
 普段は一課と同じ業務を行っているが、新しい証言や証拠などが出てきた場合は、未解決事件の捜査を行う特殊な係である。
 係の仕事内容に負けず劣らず班のメンバーもクセの強い者ばかりで、玉井警部を班長に、尾形警部補、岡田警部補、谷垣巡査部長、そして最近異動して来た野間巡査部長の5人がチームとなって活動している。
 そう言えば、捜査資料箱を抱えていたついでにそのまま一課まで戻って来てしまった。少し後ろを歩く野間は、先輩に重たい荷物を運ばせているにも関わらず気にする様子は全く無い。谷垣なら持ちましょうかと一声かけてくれるのに、この男……相変わらず素太い。

「戻りましたー」
 デスク横の長机に資料箱をドンと置くと、わらわらと人が集まってきた。
「遅かったな。サボってたのか?」
 尾形が岡田の肩を小突き、いつもの憎たらしい笑みを浮かべる。
「ついでに糞してました」
 岡田は先ほどの野間を真似て返してみるが、尾形は聞いておきながら興味なさげに目を逸らした。これじゃまるで、資料を戻すついでに糞をしてきたと皆に報告する変態だ。野間はというと、一仕事を終えたかのような態度で机の端でコーヒーを啜り、無言でこちらを見ている。
 コホン――いつもより大きな咳払いが響き、皆の視線が玉井に集まった。
「先日、小樽で見つかった白骨遺体なんだが、鑑識結果が出てな」
 玉井は手に持った資料を広げ、話を続ける。
「9年前、捜索願を出されていた女性のDNAと歯型が一致した」
 『9年前』という言葉に、尾形が一瞬眉を動かし、岡田が小さく息を呑む。谷垣は「9年前……?」と首を傾げ、野間は興味ありげに顔を上げ、コーヒーを置いた。警察官としてはまだ若い二人には遠い過去だが、尾形と岡田にはあの事件が脳裏に蘇る。
「なぜ……」
 岡田が絞り出すように訊ねると、玉井が目を細めた。
「白骨遺体の首に不自然な傷跡が残ってた。骨にまで圧迫痕があってな」
 その言葉で、尾形と岡田は一瞬視線を交わす。当時警察官だった二人には、それが何を意味するかすぐに分かった。
「この白骨遺体は9年前、小樽であった絞殺遺棄事件の4人目の被害者かもしれん」
 玉井は岡田が運んできた箱から9年前の調査書を取り出し皆に見せた。
「1人目の被害者は小樽在住、山田美咲、28歳。2人目は札幌在住、高橋彩花、32歳――」
 ガタン――岡田が椅子に座り込み、頭を抱えた。谷垣が「岡田さん!」と慌てて駆け寄り、肩に手を置く。微動だにせず二人を見つめる野間は、資料室で見た岡田の様子を思い出した。尾形は無言で資料を見つめ、微かに唇を歪める。
「そして3人目は札幌在住、、27歳……岡田の恋人だ」
 玉井に向けられていた全員の視線が岡田に集中した。玉井の声だけが静かに響き、部屋に重い沈黙が落ちる。



――9年前

 岡田は時間を確認すると、挨拶もそこそこに署を飛び出した。
 10月下旬。雪国の刺すような風が、帰宅する人々の背中を押すように吹き抜け、皆が身をすくめて足早に歩いていた。
 そろそろ初雪が降る頃だろうか。ふと頭上を見上げると、どんよりと重たい雲が月を隠していた。
 時刻はもうすぐ19時になろうとしていた。岡田は所用を済ませるため、家とは反対方向へと急いで向かう。

 20時。予定より手間取りようやく所用を終えた岡田は、今度こそ家に向かって歩き出した。ポケットの中でブルブルと震えるスマートフォンを確認すると、から「今から帰ります」のメッセージ。事前に今夜の晩御飯はいらないと伝えていたため、も予定通り外で友人と食事を取ったようだ。
 の手料理が食べたいな、などと思いながら一旦コンビニに入り、自分の晩御飯とビール、が最近はまっているプリンを購入。自分が家に着く頃には七海も帰宅しているだろう。鞄にしまった小さな紙袋をそっと確認し、小走りで帰路を急いだ。

「ただいま!」
 息を切らして玄関を開けると、部屋の中は真っ暗だった。リビングにも寝室も静まり返り、がいる気配はどこにも無い。岡田は少し拍子抜けしながら、もうすぐ帰ってくるかもしれないと、すぐにでも飲みたい欲を抑え、買ってきたビールとプリンは一旦冷蔵庫にしまい、とりあえず弁当を温めた。
 電子レンジの音を聞きながら、スマートフォンを確認する。岡田は『遅くなるの?』と送信し、タイミングよく温まった弁当を片手にテレビの前へと向かった。

 弁当を食べ終え時計を見ると、時刻は22時になろうとしていた。から「今から帰ります」と連絡が来てから既に2時間近く経っている。
 もう一度スマートフォンを確認してみるが、岡田が送ったメッセージに既読は付いておらず、何度か電話をかけてみても電源が入っていないようで繋がらない。
 どこかで事故に巻き込まれたのだろうか。しかし、岡田とが暮らすこの家は、岡田の仕事柄職場に近い場所にある。パトカーが走ればすぐに気が付くし、自分にも連絡が入るはずだ。
 もしかすると友人と盛り上がり、そのままカラオケにでも行ったのかもしれない。
 我慢していたビールを冷蔵庫から取り出しプルタブに指を掛けたが、迎えに来て欲しいと言われたらと思い、ビールをそっと戻した。
 この日は飲むのを諦め、からの連絡に気づけるよう、大きく伸びながらソファに横になった。

 朝方、うとうとしていたところに電話が鳴った。かと思い慌てて画面を見ると、上司である月島班長からの電話だった。
「岡田、お前今どこにいる」
「どこって……家ですが」
 微かに電話口の月島の声が揺れている。
「……落ち着いて聞いて欲しい」
 そこからの記憶は曖昧だ。
 月島の言葉が頭の中で何度も鳴り響く中、家に迎えに来た有古と共に小樽市立病院へと向かった。看護師に「静かに!」と注意されながら、目的の場所を目指し病院の長い廊下を走る。そこにはすでに月島や宇佐美、よく知る捜査員が待っていた。
「ご家族は到着している」
 月島はそう伝え、班の皆を連れてその場から立ち去った。岡田は震える手で重たい扉を押し開けると、耳をつんざくような悲鳴のような叫び声が部屋中に響き渡っていた。
「あなたが!!!! あなたがいながらどうして!!!!」
 女性は部屋に入って来た岡田を見ると、腕を鷲掴み強く揺さぶる。
「警察官のくせに娘を守れないなんて!!!!」
「お母さん! やめて!」
 止められて女性の手が離れたが、反動で岡田は床に倒れ、そのはずみで鞄の中から小さな紙袋と小箱が転がった。よろよろと力なく立ち上がり、目の前の白いシーツに手を伸ばす。
「ああ……あ…………」
 冷たい頬に触れ、岡田の視界が滲む。
 そこには愛した人が静かに眠っていた。


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 10月31日未明、小樽市◯◯の海岸で女性の遺体が打ち上げられているのを、札幌から釣りに訪れていた人が発見し通報しました。
道警が確認したところ、女性は札幌市在住、さん(27)と判明。首には絞められた跡があり、死因を調べています。
 同市内では同様の手口での遺体が発見されており、道警は一連の事件と関係があるものとして、捜査を続けています。

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25/02/24 25年度中に頒布予定

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